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思い出の山へ

■ 12月8日  6日、7日と2日続けて山を歩いてきました。

■ 6日、カスミソウの出荷、サンゴミズキ、ユーカリの今年の最終出荷を終えてから、予てから
  行きたいと思っていた山に行ってきました。 『柳津町大字軽井沢字越田』 そこが私の
  思い出の地。 軽井沢集落から2km弱。 車では行けないだろうと思っていたのだが
  幸いにも集落の方たちが山道の手入れを怠ることなく続けているようで、目的地の300m
  手前位まで車で行くことが出来ました。集落の皆様に感謝しながらそれでも恐る恐るの
  走行でしたが何とか昔方向転換に使っていた場所まで辿り着き、そこからは歩きました。
  僅かに残る昔の道を辿りながら目的地に着いた時はなんとも言いようの無い喜びと、同時に
  変わり果てた山の姿に涙が出るのを抑えることが出来ませんでした。

  昭和41年春、私が農業に就いてから49年まで田んぼを作っていた場所でした。
  明治の中ごろ私の祖祖父が11年掛けて開墾した田んぼでした。面積約6反歩。これが
  かつて我が家の食を支えてきてくれた場所でした。 50年に私が引っ越すことを決めてから
  作付けせず耕作放棄となったわけです。 引っ越して現在の地に落ち着いてから田んぼの
  周りのかつて桑畑だったところに桐の木を100本程植え、その後10年ほどは手入れのため
  両親と年に何回か行っていたのですが、父が倒れ、母が倒れ私一人になってから行けないで
  いました。もう20年にもなります。 もう枯れて倒れてしまったであろうと思っていた桐は
  20本程残っていました。 よほどの適地だったのでしょう。 残った木の大きく育ったのには
  驚きでした。 細いものでも目ドウリ(目の高さ)周囲3尺2寸、大きいものでは7尺を越える
  木もありました。おおむね5尺を越える木がほとんどで、かつての売買取引単位で100玉を
  数える大木になっていました。 ここに植えるとき『父と私の夢』が、私が60歳になるまでに
  100玉の桐を育てることでした。 生き残った木は僅かになりましたが夢のひとつは叶った
  事になります。 しかしそれを生かしいつか何がしかの経済的な力になるだろうと思った夢は
  見事に敗れてしまいました。 現在の桐原木の価格と人件費を考えるとほとんど価値は無い
  物になってしまったから。 娘が生まれたら『桐を植える』 そして娘が嫁ぐときその桐で
  嫁入りタンスを作って持たせる。 そんな話は遠い時代の話になってしまった現在。
  時代の流れ、変化に思いを馳せて見ても何も答えは帰ってこない。

  目ドウリ周囲2尺8寸で1玉、それから4寸増える毎に1玉と数え4尺で4玉、5尺2寸で
  7玉となります。ただし木の質、伸び具合、木の傷の有る無しで『傷引き』 『ウラタシ』等の
  見立て加減がありそこは取引時の交渉となり単価が決まります。この地方独特の
  取引単位かも知れません。

■ 山に行った目的のもうひとつ、それはかつて自分達が祀っていた『水神様』の現状を確認
  すること。 石塔は倒れていたが幸いにも傷ひとつ無く無事だった。 この水神様は祖祖父が
  開墾をした地に80歳のときに会津高田の石屋さんに刻んでもらい建てたとの事。 その後
  我が家始め集落の人たちが春の田植えのときにお参りし、秋稲刈りのとき感謝のお参りを
  続けてきた。 高冷地の田んぼでは冷害に襲われることも多かったろうし、棚田ゆえの
  水害などで山崩れに遭うことも多かったのであろう。 昭和30年の水害の時には集落の
  田んぼはほぼ壊滅した。その後1年で各自が、自力で復旧させた。 

■ 今のように他からの援助があったわけでもなく、重機があったわけでもなかった。
  せいぜいリヤカー、スコップ モッコ、唐グワ、そんな物と親類縁者の手伝いだけで
  復旧させてしまった。
  そのパワーは今の私たちには到底及びも就かないものを感じてしまう。
  復旧した田には1枚ずつ名前が付いていた。 たとえば『大田 オオタ』 一番広い田のこと
  『サンメダ』 3枚が同じ高さに続いている田 それぞれその場所や特徴を捉えてうまく
  名づけたものだと思ったことがある。 その中に『タロウタ』というのがあった。復旧工事のとき
  一番応援してくれた叔父、龍川庄太郎(通称 タロアンチャ)の太郎を取って名づけられた田
  があった。その場所に立って今は故人となってしまった叔父、叔母を思い懐かしさがこみ上げて
  来るのを抑えることが出来なかった。 必死になって働いてくれたであろう叔父叔母始め、親類
  の人たちの思いの篭ったこの地を私は生きるために捨てた。 そして20数年一度も足を
  運ぶことも出来なかった。 時代の変化に少しでも追いついて行くためには、これしか道は
  無かった。

  長い間この地を守ってくれた『水神様』とこの地を開墾し、耕作し、災害のとき復旧に汗を流した
  先祖の思いと、我が家を幾世代にもわたって支えてくれた『この土地』に感謝し、捨て去って
  しまったことのお詫びをし、水神様と4方の山、川に手を合わせて帰りました。
  行けなくなってから気にかかっていたことが叶った1日でした。

  人間がどんな都合でその地を使おうと、どんな理由で捨て去ろうと、山も川も、木も水も泰然
  として時を重ねている。 そして人間が入ってくる以前の姿に戻ろうとしているような気がする。
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by taka1562t | 2009-12-08 07:23 | 日々の記録