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<   2008年 11月 ( 5 )   > この月の画像一覧

■ 11月25日  21日、大田市場内のホテルで開催された『カスミソウ生産者全国研修会』に
           参加して来ました。

■ 今回の開催は、今年2月に高知で開催されたサミットのとき、今後も形を変えても続けたい
  との、参加者の発議で決まっていたものでした。 各産地の代表者、市場関係者
  種苗メーカー、資材メーカー他関係者の参加で約40名あまりの開催になりました。
  
■ スミカ農業資材の永島氏から、イスライルにおけるカスミソウの生産と、前処理技術、
  調整出荷状況の現状についての講演。
  クリザールの海下氏からエクアドルにおけるカスミソウ生産と世界のカスミソウ流通に
  ついての講演がありました。
  ミヨシの谷氏からIFEXにおけるアルタイルの販促活動について報告がありました。

■ 参加各団体の紹介があり、各産地の現状、今後に対する方針等が紹介されました。
  その中で、カスミソウのより一層の品質向上を目指そうと言うJAハイナンの杉山氏の
  呼びかけには深い感銘を受けました。 私がかつて市場で見せていただいたハイナンの
  品質は他を寄せ付けない程の物だったと記憶していたのですが、その産地からこのような
  呼びかけをされることは身の引き締まる想いがしました。 私自身気持ちを新たに頑張って
  行かなければとならないと思いました。

■ かつて夏期のカスミソウ生産は無理だと思っていた私達に、重要なヒントをくださり5月下旬
  から12月上旬まで継続出荷が出来るようになった元を作って下さった、JA高知はたの
  浜村氏にお会いでき言葉を交わして戴いたのも嬉しかった。
 
■ 交流会終了後、南空知の窪田氏とロビーで情報の交換が出来たことはこれからの私達
  の品種選定に大いに役立つ内容でした。 同じ夏場産地としての今後の取り組みについて
  の考え方を伺うことが出来たのは本当にありがたいことでした。

■ 世田谷花きの熊谷さんのお話はこれからのカスミソウのひとつの基準になって行く重要な
  事柄と聞かせていただきました。 大輪系、小輪系といってもどれを基準に言っているのか
  今まで曖昧だった所に、熊谷さんのお話はその基準を明確にしていける、基になって行く
  ように思いました。

■ 今回参加させて頂き、各産地の状況、新品種の情報、等々戴きました。来年に向けての
  品種の選定、作型の決定に大いに参考にさせていただけることが出来そうに思います。
  参加され、交流させていただいた皆様に御礼を申し上げます。
  今後もこのような研修の場が続きますことを、願ってやみません。
  本当にありがとうございました。 最後に皆様のご健勝をお祈り申し上げます。
by taka1562t | 2008-11-25 07:16 | かすみ草

郷の山を歩く

■ 11月17日 (11月14日 生まれ郷の山を歩く)

■ 日頃からお世話になっている S氏の依頼を受け山の境界案内に郷の山を歩いて来ました。
  
■ 午後1時半私の畑を出発。目的地入口着1時40分。 そこから山中に入る。
  字名 油畑(アブラ畑) 畑跡に植林した杉の林を抜け目的地字名 坂下(サカシタ)へ入る。
  30余年前、大谷地(オオヤチ)に住んでいた頃の山中の様相とはまさに様変わりしていて
  昔の面影を探すのに苦労した。 目印の栗林、嶺伝いに植えられた義兄の杉林を頼りに
  字切図と照らし合わせながら、境界の1辺を見つける。 字切図を頼ると現況に合わない事
  を知る。 坂下と油畑の字界で図面上に大きなズレがあることを理解するまで時間を要した
  が、やがてそれは第3のの目標である ゴンベイ田の跡を見つけてようやく理解できた。

■ 山の境界と聞いていた所を一通り歩いた後、確認のため昔この山道を歩いて通った時に
  ヤスンバ(休み場)と呼んでいた所まで山を下った。 沢に下がり昔の道を歩こうとしたが
  柴木が邪魔になって思うように歩けない。 仕方なく田んぼの跡を歩きながら目標を探す。
  思ったよりも時間がかかったが何とか目標の場所に着く事が出来た。
  ヤスンバの炭窯跡、道上の田んぼ跡、道下の義兄の田んぼ跡、その位置関係から、先の
  田んぼ跡がゴンベイ田でありその北側の曽根が最後の境界であることを確認する。

■ 30余年の歳月は自分にとってあまりにも早かったと思うこともあった。しかし時間は確実に
  過ぎていたようです。 馬の手綱を結ぶのも頼りなかった桜の木の胸高径が1尺にもなろうと
  していました。 あれほど(何百回となく)歩いた道と ベコ道の区別さえもつかなくなった所も
  ありました。 いちばんショックだったのが義兄が耕運機を入れるために広げたゴンベイ田
  への入口が見つからなかったこと。 帰りに山を登っていたとき偶然にも見覚えのある場所
  を見つけ、ようやくゴンベイ田への道であることがわかりました。
  私が育った家(生家は2歳の時焼失した)の塗り壁用の砂を運んだ 砂取り場、田植の頃に
  熟れる ケモモの実があった道上の法面。 荷を負い、疲れた馬が転げ落ちた場所。
  山栗にしては大きい実が拾えた曲がり道。 次々と当時のことが浮かんできました。
  
■ 藪になってしまった山道を辿りながらの帰り道、視界の広い場所から沢向いの高尾峰の
  曽根が見えました。 そこには柳津町側に植林された唐松が整然とそびえ、子供の頃の
  キキョウ、ヤマキキョウ(ツリガネニンジン)、オミナエシ等々の花が咲き乱れていた、あの
  風景はありませんでした。 もちろん季節も違うし、遠くからの眺めではあの頃を思うことさえ
  無理なことだったかも知れませんが・・・・。

■ 『思い出』と『記憶』は再び掘り出さず、辿らない方が良いのかも知れない。 自分の胸の中
  脳裏に大事にしまい、焼き付けているだけで良いのかも知れない。 その方が人は幸せ
  なのかも知れない。 なぜなら、苦しかった事、つらかった事よりも、
  楽しかった事、美しかった風景を良い思い出に生きて行ける様な気がするから。
by taka1562t | 2008-11-17 22:41 | 日々の記録
■ 11月13日  フロシキは凋めるのが大変・・・亡き母の教え

■ 今日、午前中出荷、 カスミソウ10ケース、ユーカリ6ケース、サンゴミズキ1束
  JAの集荷所、会津若松の運送店、両方に荷物を届けて終わったのが10時30分。
  柳津の葬祭会館へ。 親戚に不幸があったので葬儀に出席。12時30分終了。
  急ぎ帰宅。

■ 昼食後、長尾圃場のハウスビニル撤去。 隣の圃場の友人も店じまい作業の最中だった。
  長年したい放題にして使用してきた付けが一挙に押し寄せてきた感じ。 使いっぱなしの
  資材があちこちに散乱している。 ひとつずつ整理しようとするがなかなかはかどらない。
  それもその筈、春季咲きのカスミソウを採花した後、よほどの用事が無い限り寄り付かな
  かったのだから、圃j場全体がほぼジャングル状態。 他にハウスを建てたために新植しない
  事を良いことに先日まで放りっぱなしだった付けを、一挙に払わされている感じ。
  
■ 高尾峰圃場を含め4箇所だったものを、昨年1ヵ所、今年1ヵ所と広げ過ぎ、計6箇所に
  なり、手が廻らなくなるのは解っていたがやはり予想通りになった。 従ってパイプが一番
  古くなったところから撤退することにした。 3分の1ほどはハウス解体も済んでいるが
  まだまだ先の長い作業が来年まで続く。 建てる時は勢いでやるハウス作りも解体となると
  オックウになる。 長年お世話になった畑である。出来る限りきれいにしてお返ししようと思う
  まさに、広げる時は簡単だが、凋めるのは以外に大変だと解る。(今頃気が付ても遅いか)
  
■ 夕暮れハウスの巡回。開花が進まないカスミを見ても何にもならないと解ってはいるが、
  廻らないでは気が済まない。 採花中のハウスを全部廻った。 満月の明かりの中、白く
  花だけが浮かび上がる。 以外に今日は開花が進んだように見える。 明日の採花が
  楽しみな感じ。 日曜日は今日よりは多く出荷できるか?。
   
by taka1562t | 2008-11-13 21:30 | 日々の記録

ユーカリ切開始

■ 11月5日  ユーカリの切り取りを開始しました。

■ 寒さでカスミソウが思うように開花しません。 明日の出荷量は10ケースにもなりません。
  そこで枝物、(ユーカリ、サンゴミズキ)の切り取りを開始しました。
  
■ 1年ぶりの仕事に、鋏がまだ手につきません。 サンゴ1ケース、ユーカリ7ケースを明日
  大田市場に向け出荷させて頂きます。 ユーカリの品種は『グニー』 と『パルブラ』 です。
  はたしてどのような評価を戴けるか楽しみです。
   それにしてもユーカリには数多くの系統があることを知りました。 池袋の展示会で見せて
  戴いたようなグニーもありますが、全く似ても似つかない大葉の物、葉が笹状の物、等々
  グニーとしては出荷できそうも無いものが多数あります。 これは種子を送って戴いた時に
  教えて戴いていたので別に驚きもしませんが、大変勉強になりました。苗としての出荷には
  およそ90%廃棄するとか言っておられた様に記憶していますが、なるほどと思いました。
by taka1562t | 2008-11-05 21:48 | 枝物類

本日よりダンボール出荷

■ 11月2日  本日よりカスミソウがダンボール出荷に変更になりました。
 
■ 6月中旬から続いてきたELF出荷が終了し、本日よりダンボール出荷になりました。
  個人的には最後までELF出荷をしたかったのですが部会の方針と輸送の関係上、との事
  素直に諦めました。 今後の価格に影響しないかどうか少し心配ですが、仕方ありません。
  台車のリース料等の事もあるのでしょうが、使い捨てられるダンボールのことを考えると
  もったいなさが胸をよぎります。

■ 『モッタイナイ』のついでに

■ もったいないと言えば、くず鉄の事。 最近までのくず鉄価格の高騰で、畑や野山に放置
  されていた廃車や、廃農機具といった、いわゆる鉄くずが姿を消した。 数年前までは
  持込でも処理料を払っていたのが、持ち込めば結構な金額を受け取れることになり、にわか
  廃品回収業者が現われ、きれいに片付けてくれた。 お蔭ですっきりした分はある。
  しかし、此処で考えてみよう。 鉄の原料は国内で産出される量は極僅かのはずである。
  なのに数年前までは、鉄そのものが放置されていた、錆朽ちて土に返ってしまった量は
  計り知れないと想う。 ところがここ数年のくず鉄騒ぎ、一体何なんだろうと想う。
  
■ 割りに合う仕事は目の色を変えてもする。 果ては鉄板等盗んでも運ぶ。 そのくせ
  売れなくなると、とたんに見向きもしない。
  春頃は我が家の前を1日に何度もくず鉄を満載にして走る軽トラックが珍しくなかった。
  最近目に付かなくなったと思えば、価格の暴落だそうだ。
  なるほどと想う。 やっと合点が言ったような次第。
 
■ 私達の国土からは産出されない量の、鉄、木材はじめ最大と想う石油、果ては食料まで
  海の外から運んで生活しているのが私達、日本人であることは誰もが知っていることだと
  想う。 今こうしてパソコンを打っている私もその貴重な資源を消費している。
  これをして、本当に豊かと言えるのか?。 疑問を感じつつ暮らしている。

■ 今私の住む家はその大部分が、いわゆる 『外材』 で作られ国産材は柱くらいだそうだ。
  私は15歳の時から山を開き、杉を植林してきた。 最初の植えた木はもう40年になった。
  植えるときの計画では、60歳になったら毎年1反歩づつ木を売って小遣いにしようという
  考えだった。 そして自分が育てた量の半分は次の世代のために残してやろうと想った。
  60歳から15年、 75歳まで売るための倍量の3町歩を植えた。 目標は達成できたと
  想った。 とたんに杉の木は売れなくなった。 思惑は見事に外れた。 これに似たような
  思いをもっている人は他にもあるかも知れない。 しかしそれが現実なのだ。

■ 経済優先、解らなくもない。 しかし経済だけで私達は幸せになれるのだろうか?。
  子供みたいなことを言うなという人もあることだろう。 それも否定はしない。
  1斗缶(18ℓ缶)一杯の灯油で1ヶ月暮らすことが出来た子供の頃。 そう石油ランプの
  分だけが必要だった。 今一日どの位の灯油を燃やし、電気のためにどの位の資源を
  消費しているのか?。 自分でも本当の所、わからない。 しかし50年前よりははるかに
  多いことだけはわかる。資源の無い国の住民とはとても思えない自分自身なのです。

■ 10数年前 『日本に有りもしない油を焚いてまで花を作ろうとは思わない』と、言った事が
  あった。 その上『花がなくても人間は死なない』と、言った。 こんな私の発言は猛反発に
  あった。 いやむしろ相手にされなかったと言ったほうが正しいかも知れない。
  今でも相手にはされ無いだろうと思う。 そしてそれも正しいのかとも思う。

■ 『10里四方の物』 という言葉を聴いたことがある。 いわゆる地産地消であろうと思う。
  いたずらに珍しい物、希少な物、節はずれの物、等々そんな物を消費し暮らすことを
  豊かと勘違いさせるようなそんな報道や風潮を、これで良いのかと思って見ている。
  そんな『変人』・・・・・私
by taka1562t | 2008-11-02 21:03 | かすみ草